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ワールドキッチン

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市の国際交流協会でやっている
子どもお料理教室。

参加3回目となる今回は、
イタリアからの留学生のお姉さんに
パスタとヨーグルトケーキの作り方を教えてもらった。

わりと小さい頃からセガレに料理を時々なんとなく手伝わせるようになり、
・・と言っても最初は野菜を洗ったりちぎったりが主だったけれど、

4歳の誕生日にわたしの友達が子供用のお料理セットを
プレゼントしてくれて、my包丁やmy皮むき器、
myフライ返しやmyおたまなど一式をゲットしてからは、
切ったり炒めたりも結構やらせるようになっていた。

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このお料理教室でも可能な限り子供たちに
やらせてくれるし

テーブルが4つにわかれていて
だいたい毎回1テーブルに子供が2~3人なので
「やりたい~!」と言って取り合いになることもない。

そして今のところセガレは料理が
きらいではないらしい。

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責任重大なヨーグルトケーキの
ケーキカット。
反対の手でぺしゃんこにしてしまわないように
慎重に慎重に。

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トマトとモッツアァレラチーズ、ツナとバジルを使ったパスタは
セガレもきれいに完食。
ヨーグルトケーキは簡単ながらもとてもおいしかった。

お料理の後には毎回その国の話や
簡単な言葉(挨拶など)を教えてくれる。

イタリア語を聞くとわたしはいつも
なんだかとても美しい響きだなぁと感じてきた。

今回わかったことだけれど、
イタリア語というのは日本人にとってとても
発音しやすい言語らしい。

かといって覚えられるか、というと
それは別の話だけれど、

世界にはどうにもこうにもうまく
発音できない言語がたくさんある。

身近なものだと中国語やベトナム語のような
声調言語(音が下がったり上がったり曲がりくねったり)なんかは

もう発音のところで早速くじけてしまい
まったく勉強する気になれないのに対し、

イタリア語は覚えてしまえば
口にするのはそんなに難しくはないのでは?
という気がした。

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はじめて参加したときは
インドネシアのお母さんが教えてくれたミーゴレン。

セガレと同じ年頃の可愛い娘ちゃんとお姉ちゃんも
来ていて、インドネシアの雑貨
(インドネシアらしい柄の布で作られた
動物の形のマスコット)をくれた。

セガレは恐竜の形のをもらって
とても気に入っていた。

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韓国のお母さんが教えてくれたのは
大根のキムチと
韓国の子供たちも大好きだというヤンニョムチキン。

チキンは甘いのと少し辛いのの2種類を作り、
ビールが欲しくなる!と
親にも大評判のおいしさだった。

こちらも韓国人のお母さんと娘ちゃん親子で来ていて、
娘ちゃんが、
韓国ではお母さんとお父さんの苗字が違う(夫婦別姓)などの話を
クイズをしながら教えてくれた。

チキンを油で揚げているときには
お母さんが日本語に翻訳された韓国の絵本を子供たちに
読んでくれていて、一体どんな絵本だったのか、
大盛り上がりの様子だった。

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食べた後は洗い物も子供たちで。







今のところ3回ともとてもおいしかったし、
なんといっても主催が市の国際交流協会ということで
参加費もとても良心的。

習い事の提案などには消極的なセガレも、
「お料理のやつ申し込む?」と聞くと、
毎回「うん」という返事が返ってくるし、
これからも時々参加したいなぁと思っている。


私自身、いろんな世界の味が楽しめる!
というのもうれしいところだけれど、

前にも別の話で書いたように→(※)世界のともだち

世界にはいろんな人がいるなぁと感じてほしいし、
いろんな文化があって習慣があって考え方があって、
世界は広いのだということをセガレに知ってほしい。

学校での英語教育が低学年化されつつある今。

2020年度から、小学校3、4年生で英語に親しむ
「外国語活動」を授業に組み込む方針で進んでいるらしい。

2020年度と言えば、
セガレがちょうど3年生になる年だろうか。

この英語教育の低学年化には
賛否両論があるけれど、
わたしは別に賛成派でも反対派でもない。

しかし反対派の意見の多くは
「母語がまだしっかりしてないうちに・・・」というものだろう。

母語がある程度確立してからの方が外国語の学習効果は高い。
ということは確かな事実であると思うが、

小学校で行う英語教育なんてせいぜい
絵をみて「Dog」だとか「Cat」だとか、
「Hello!」「How are you?」のやり取りだとか
そんな『英語に親しめるように』レベルのものであろうから
別に母語の発達に影響を与えるものでもないし、

「外国語活動」としてどんなことをやろうとしているのかは
知らないけど、まぁいいんじゃね?
程度に思っている。

ただひとつ英語学習に関して思うことは
「なぜ英語が必要か?」を勉強する本人が
心の底から理解する必要がある、ということだ。

「これからの時代英語は・・」
とかそんなことはさておき、

自分の人生の中で英語が必要だ!
と自分自身で思うこと、

このモチベーションが一番大切なんじゃないかと思う。

なぜ必要かが自分の中でクリアになっていれば、
長い学校英語教育の間に自ずと必要な勉強方法を
自分で見つけて行くだろう。

逆に、自分の中でそれがクリアになっていなければ、
無駄な時間を過ごしてしまうことになりかねない。







わたしの中学高校時代は
どちらかと言えば英語の勉強は苦ではなく、

英語の文法構造が、ものすごくしっくりきたし、
わたしにとって理解しやすいものだったのだ。

でもただそれだけ。
テストで毎回必ず良い点は取れるけれど、
決してしゃべることはできなかったし、
授業以外でしゃべる機会もなく、
必要性も感じなかった。



英語を話したい、
と思ったのは大人になって
海外を旅してからだった。

自分の言いたいことがうまく言えなくて
何度悔しい思いをしたことか。

この人ともっと深い話をしたい!
もっと仲良くなりたい!と
思っても、自分の英語力では限界があった。

あー!もっと英語が上手ければ・・・
と思った瞬間の出来事や、
旅先で出会って仲良くなって、話をした人たちの顔は
今でもありありと思い出される。

英語だけではないけれど、
とりあえずまぁ外国語のひとつとして、
英語が話せれば、
もしくは自分の英語に自信を持つことができたならば、
日本の外へ出たって
沢山の人と話をすることができる。
世界中に友達をつくることができる。

そんな当たり前のことが、

「ローマの休日」を観て字幕を日本語に訳していったり、
先生の真似をして教科書の英文を読まされたり、
決められたやりとりを生徒同士でするような授業からは

わたしはまったく学べなかった。







だから、
今を生きる子どもたちには、
わたしが学校の英語教育で学べなかったことを
学んでほしいなあと思う。

セガレにも
そのうえで自分にとって「外国語」が必要か
どうかを考えて欲しいし、

「外国語」=英語だけではないことも知ってほしい。






ふとセガレの周りを見渡せば、
いつのまにやら英会話教室の類に通っている
友達が増えている今日この頃だけれど、

相当なことがない限り、
わたしは小学校の「外国語活動」とやら
が始まる前に、

セガレに英語の勉強をさせることはないだろう。



今できることは、
とにかく世界の広さと面白さを知ってもらうこと。

ただ、それだけだ。
















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  1. 2017/06/18(日) 22:01:48|
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